top of page

人材開発支援助成金「人への投資促進コース」審査厳格化の背景と実務上の注意点

執筆者の写真: 賢二 内藤
賢二 内藤
3月7日
読了時間: 8分

1. はじめに:助成金制度における審査方針の変更

 厚生労働省は、人材開発支援助成金「人への投資促進コース」において発生した大規模な不正受給事案を受け、再発防止策を講じる方針を明らかにしました 。

 これに伴い、助成金申請時の提出資料が追加されるなど、各労働局における審査が厳格化されます 。


 本記事では、過去の事案の経緯を整理し、どのような枠組みで不正が行われたのか、そして今後、適正に助成金を活用しようとする事業主がどのような点に留意すべきかを解説します。


2. 不正受給事案の経緯と公表された事実

 今回の審査厳格化の背景には、定額制(サブスクリプション型)の訓練を提供する東京都内の教育訓練会社が関与した事案があります 。


2.1 事案の規模

 厚生労働省および各労働局の発表によると、当該事案の概要は以下の通りです。

  • 申請事業主数:計191社 。

  • 不正受給総額:約20億円 。

  • 公表の経緯:2024年12月に5労働局が計8件(約3000万円)の事案を公表し 、その後調査が進んだ結果、2026年1月には全国30カ所の労働局が一斉に事案を公表するに至りました 。

  • 返還状況: 不正受給の認定を受けた191社のうち、期限までに全額を返還しなかった42社(未返還額計約5億円)については、2026年2月に事業所名が公表されています 。


2.2 認定された不正の枠組み(スキーム)

 各労働局の調査により認定された不正の仕組みは、事業主が実質的に訓練経費を全額負担していないにもかかわらず、国に支給申請を行ったという点に集約されます 。

 具体的な流れは以下の通りとされています。


  1. 契約の締結:教育訓練会社と事業主の間で訓練契約を締結。

  2. 資金の提供:教育訓練会社側(協力会社等を含む)から事業主に対し、あらかじめ訓練経費と同額を「営業協力費」などの名目で入金。

  3. 経費の支払い:事業主は、提供された資金を原資として教育訓練会社へ訓練経費を支払い。

  4. 助成金の申請:事業主は自ら経費を負担したとして国に助成金を申請し、受給する。

  5. 利益の分配:受給後、事業主から教育訓練会社側へ金銭を支払うなどのやり取りが行われていた。


 この過程において、教育訓練会社が事業主に対し、労働局への虚偽報告を指示したり、調査を受けた際の対応方法を指南したりしていた実態も報告されています。


3. 【解説】人材開発支援助成金「人への投資促進コース」の概要

 今回の事案に関連する「人への投資促進コース」について、厚生労働省のリーフレットに基づき、その制度内容を紹介します。


令和7年度「人への投資促進コース」の概要(令和7年4月1日版より)

【制度の目的】

 デジタル化の進展や労働移動の活発化に対応するため、企業が従業員に対して行う専門的な訓練経費を支援するものです。


【主な訓練類型と助成内容】

① 定額制訓練(サブスクリプション型): 定額で複数の訓練を受講できるサービス。

  助成率:経費の最大45%(中小企業)

② デジタル人材育成訓練:ITスキルの習得を目的とした訓練。

  助成率:経費の最大75%(中小企業)

  賃金助成額:1,000円/時(中小企業)

② 自発的職業能力開発訓練:従業員が自ら希望して受ける訓練への支援。

  助成率:経費の最大45%(中小企業)

③ 情報技術分野認定実習併用職業訓練:IT分野未経験者の即戦力化訓練への支援。

  助成率:経費の最大60%(中小企業)

  賃金助成額:800円/時(中小企業)

④ 長期教育訓練休暇等制度:長期間の教育訓練休暇を付与する制度の導入。

  助成額:20万円

  賃金助成額:1,000円/時(中小企業)


【主な支給要件】

  • 雇用保険適用事業所の事業主であること。

  • 事業主が訓練経費の全額を負担していること。

  • 訓練期間中、適切な賃金を支払っていること。

  • 定額制サービスの訓練については、2024年10月から支給額や回数に上限が設けられる等の制度見直しが行われています。


4. なぜ「定額制訓練」において事案が発生したか

定額制(サブスクリプション型)訓練は、一つの契約で多様な訓練を繰り返し受けられる利便性がありますが、今回の事案ではその枠組みが利用されました 。厚生労働省は、こうしたサービスにおいて訓練会社による「自己負担なしで受講できる」といった不適切な案内が行われていた実態を重く見ています。


2024年10月には、定額制サービスの訓練に対する助成金について、支給額や回数に上限を設けるなどの制度見直しがすでに行われていますが、今回の事案を受けてさらなる再発防止策が導入されます。


5. 厚生労働省が講じる「審査厳格化」の具体的な内容

大規模な事案の発生を受け、厚生労働省は類似事案の再発を防ぐため、2026年3月より審査体制の大幅な強化策を導入しました。


5.1 提出書類の追加と確認の徹底

最も大きな変更点は、支給申請時の提出資料の追加です。

  • 追加資料:「教育訓練機関から提供された資料一式」の提出が新たに求められます。

  • 審査の目的:教育訓練会社が事業主に対し、労働局への虚偽報告を指示したり、不適切な営業行為(自己負担なしの強調など)を行ったりしていないかを、労働局が厳正に確認するためです。


5.2 労働局向けの「不正受給防止マニュアル」整備

全国の労働局で統一的かつ厳格な審査を行うため、新たに「不正受給防止マニュアル」が整備されるとのことです。

これにより、従来は見過ごされがちだった巧妙な資金還流スキームなどについても、重点的にチェックが行われる体制が整えられるものと考えます。


5.3 リーフレットの改定と事例の明示

事業者や訓練会社向けに配布されているリーフレットも改定されます。

  • 具体例の提示: どのような行為が不正受給に該当するのか、実際の事案に基づいたケーススタディが例示されます。

  • 普及啓発: 「なるべく早く対応したい」との方針の下、どのような勧誘が危険であるかを分かりやすく解説し、事業主が意図せず不正に関与することを防ぐ目的を兼ねるものとなるでしょう。


6. 不正認定に伴う返還義務と社会的リスク

事案に関与したことが判明し、労働局から不正受給の認定を受けた場合、事業主には極めて重い責任が生じます。


6.1 助成金の返還と加算金

不正受給と認定された場合、以下の金銭的負担が課せられます。

  • 受給額の全額返還:既に支給された助成金を全額返還しなければなりません。

  • 延滞金および加算金:不正の態様に応じ、延滞金や加算金が付加されます。

  • 連帯責任:今回の事案のように訓練会社が主導した場合、事業主と訓練会社の双方に返還義務が生じます 。その負担割合は当事者間で決定することとなりますが、国に対する返還義務が免除されるわけではありません。


6.2 事業所名の公表基準

労働局は、不正受給の認定を行った際、一定の基準に基づいて事業所名を公表します。

  • 事業主の公表:事業主の悪質性などが考慮されますが、期限までに返還を行わなかった場合などは、15労働局が42社の事業所名を一斉公表したように、実名が公開されます。

  • 訓練会社の公表:不正を考案・指南した訓練会社については、多くの事案に関与していることから、労働局によって社名が公表されています。


7. 事業主が適正に受給するための実務上の対応

人材開発支援助成金は、本来、企業の成長と従業員のキャリア形成を支援するための有益な制度です。

今後、適正に活用し続けるためには、以下の点に留意した実務対応が求められます。


7.1 教育訓練会社の選定と契約内容の確認

「実質負担ゼロ」「助成金で利益が出る」といった案内を受けた場合には、一旦立ち止まって確認していただくことをお勧めします。

  • 経費負担の原則: 事業主が自ら訓練経費を全額負担し、その後に一部の補填として助成金を受けるということ。

  • 資金還流の有無: 役務提供実態のない「営業協力費」などの名目で、訓練会社側から資金が提供される契約になっていないかなどの契約内容の確認。


7.2 提出書類の正確性と証跡の保存

審査の厳格化に伴い、訓練の実施実態や経費の支払いエビデンスをより確実に保存しておく必要があります。

  • 訓練資料の保管:訓練会社から提供されたカリキュラム、テキスト、受講記録などは、すべて整理して保管してください。

  • 実態に沿った申告:実態と異なる報告は、将来会社の信用を損なうリスクにしかなりません。事実に即した助成金運用・申請・申告をお願いいたします。


7.3 定額制サービス受講時の上限管理

2024年10月の制度見直しにより、サブスクリプション型の訓練には支給額や回数に上限が設けられています。

自社の受講計画が最新の制度要件(令和7年4月版など)に合致しているか、事前に労働局や専門家に相談することを推奨します。


8. 最後に・・・

今回の事案は、結果として全ての事業主に対する審査が厳しくなるという影響を及ぼしました。

しかし、ルールを遵守し、従業員の能力開発を真摯に進める企業にとっては、引き続き有効な支援策であることに変わりはありません。

今後の審査厳格化を「適正な運用のためのプロセス」と捉え、正確な資料準備と透明性の高い手続を心がけることが、円滑な受給と企業の信頼性確保につながるものと考えます。


◆情報元

  • 2026.03.05 【労働新聞 電子版 ニュース】より。

  • 厚生労働省HP「令和7年度版 人への投資促進コースのご案内(令和7年4月1日版)」概要リーフレットより。

 
 
 

最新記事

すべて表示
育児・介護休業法の是正指導が急増~就業規則の「準用」ミスと雇用環境整備に注意~

1.はじめに 育児・介護休業法の改正が令和7年4月と10月に段階的に施行されてから、1年が経ちました。 この間、労働局は企業への報告徴収(就業規則や運用状況の確認)を強めており、大阪労働局では令和7年度の是正指導等の件数が前年度の5倍を超えたと報じられています。 本記事では、労働局の指摘が多いポイントを整理し、自社の就業規則・社内体制を点検する際の着眼点を解説します。 2.大阪労働局の是正指導は5

 
 
 
「106万円の壁」撤廃で何が変わる?~社会保険の適用拡大と保険料調整制度を解説~

1.はじめに 2026年10月1日、パート・アルバイトの方が社会保険(健康保険・厚生年金保険)に加入する要件のうち、「月額8.8万円以上」という賃金要件が撤廃されました。いわゆる「106万円の壁」の撤廃です。 あわせて、従業員50人以下の企業にも段階的に適用が広がるスケジュールが決まっており、事業主の負担を和らげる「保険料調整制度」も始まりました。 本記事では、今回の変更点と今後の予定、会社として

 
 
 
大阪府の最低賃金は1,231円に~10月発効、月給者・手当の確認ポイントを解説~

1.はじめに 令和8年度の地域別最低賃金が各都道府県で改定され、大阪府では令和8年10月1日から時間額1,231円となりました。 10月分の給与計算を迎えるこの時期は、改定後の金額を下回っている従業員がいないかを確認する大切なタイミングです。 本記事では、今回の改定額の概要と、時給者・月給者それぞれの確認方法、見落としやすい手当の扱いについて、実務の視点から整理します。 2.令和8年度の改定の概要

 
 
 

コメント


bottom of page